家族も身寄りもなかった友人のはなし


家族も身寄りもなかった友人は 、 入院していた時に同室のご縁で親しくなって、先に退院していった人に
「私が亡くなったら、葬式をしてほしい。
お墓のこともどうか頼みます」
そう託したらしい。
彼女の死後、その方からみんなに連絡があって、はじめてそのことを伺った。
彼女は、その方に、年賀状の束を託していたらしく、その方は年賀状の差出人ひとりひとりに連絡を取り、それで私にも連絡が来た。
容態が急に悪化して、友人らには連絡が間に合わなかったのかもしれない。
それで入院中に親しくなった人に、大切なことを託すことになったのだろうか。
彼女に聞いてみることは、いまではもう叶わないので、あくまで推測なのだけれど。
彼女のお墓は、小高い丘の上にある、眺めのよいところだった。
それはもう二十年も前の話で、お墓参りをしたのは真冬だったが、彼女のお墓にはぽかぽかと柔らかな陽射しが注いでいた。
「こんなよいところにお墓を用意してもらってよかったねえ。
家族以外の、病院で知り合っただけの人にそこまでしてもらって、○○さんは幸せ者だねえ」
私たちは口々に言い合った。
身寄りもなくひとりで急に亡くなっていった彼女の無念さ、さびしさを埋めようとするかのように。
急にそんな大切なことを頼まれることになったその方も、さぞかし荷の重さを感じたことだろう。
私たちは、友人のためにお墓を用意してくれたその方と、メールのやり取りだけで、直接お会いすることはなかった。
だが、その方の責任の重大さ、大変さを思った。
そして家族ではない彼女のために、ここまでしてくれたことに、友人として感謝した。
もしかして、友人は、彼女の財産をその方に相続するという約束と引き換えに、葬儀やお墓の取り計らいをしてもらったのかもしれない。
これまた想像にすぎないのだが。
なぜ、わざわざ、二十年も前の話を今ごろ書いているのか。
あれから二十年が経ち、自分も死にぐっと近付いてきたということ。
老後に死後の始末をしてくれる家族も身寄りもない人が、今後増える一方だろうなと思うからだ。
それで暖かい冬の日にみんなで一緒にお墓詣りした日のことを、急に思い出した。
このような独り身の高齢者の死後の始末については、一般的には行政が公費負担で対応することになるのだろう。
「身元保証」のトラブルが急増している、という記事も目にしたことがある。
どのように死んでいきたいのか。
私も、これから、真剣に向き合っていかなくては。